大きすぎないサイズ感と、カラーページの美しさで手に取りました
「 琳派 」の人々
17世紀に尾形光琳・乾山が宗達をリスペクトして屏風をしつらえました
18世紀、酒井芳一・鈴木喜一が 俵屋宗達、尾崎光琳をリスペクトして後に続きます
琳派の代表格になるのは、上記の人たちなのですが
この人達は実際に顔を合わせる時代に生まれついていません
どういうわけか100年ごとに登場するのです
作品を真似して学び、後に続いた人たちなのです
「琳派」という言葉の由来
さてこの「琳派」という言葉
1972年、東京国立博物館100周年に行われた 特別展の題名として作られた言葉でした
もともと「琳派」は、そういう流派があったわけではありません
なんせ100年ごとに登場する人達ですから、
本人たちは流派を作る感じでもなかったんだと思います
学説的なことを言えば、「俵屋宗達の流れである」とか
まとめられることはそれまでにもあったようです
歴史的な用語が作られるときに、学術論文でなく
展覧会の特別展が関わってくるんこともあるんだなぁと
面白く感じました
「琳派」の特徴
・「私淑」で継承させられてきたこと
私淑とは、直接教えを受けるのではなく、
その作品を集めたり、模写したりして学ぶやり方を言います
・「たらしこみ」の技法
固いものがない、
目に優しい、
輪郭線を極度に排除した表現技法です
・二曲屏風の多用
屏風はもともと6枚の屏風で作られます
酒井芳一の『夏秋草図屏風』
など、2枚の屏風は琳派の特徴です
・余白を生かす構造取ったこと
・パターンをデザイン化することを重要視したこと
・大和絵にリスペクトがあること
読書感想
琳派の作家は、芸術家というより工芸士なんですよね
屏風を作りたい注文者がいて、成り立つ絵師です
彼らのプロフィールも興味深いので、よかったら読んでみてください
琳派がなぜ師弟関係につながっていかなかったのか疑問は残りますが、
彼らに屏風を注文した人たちにも私は興味が向きました
金や銀をふんだんに使った作品は、琳派の特徴でもありますが
私は発注する側の注文でもあったと思うのです
屏風を注文する人々は大きな屋敷を構える人々でしょうから
部屋を明るくする金銀を使う必要があったのだろうと思います
生活の中で何度も目に入る絵画は
派手なだけではうるさく感じて飽きられます
琳派の余白を表現する手法や、パターン化したデザインは
わびさびを好む人々にとっても
目に優しくて好ましいものだったと思います
身近な花鳥風月が柔らかく、かわいらしく描かれていたり
琳派の作品は江戸時代の教養人の琴線に触れて
好まれたんだろうなあと思います
琳派の作家が100年ごとに生まれた背景には
作品を好んだ人たちも100年ごとに生まれてきた事情もあるように
私には思えます
時代の流行りが繰り返されているようにも感じて
面白く思えました
美術史家、学習院大学名誉教授である小林忠先生の
「教えてコバチュウ先生!」
雑誌『 和楽』に連載されています
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