空元気も元気!

ちょっとだけ頑張った日の記録です

切迫流産から始まる妊娠・出産と、ありがたかったサポート 第2子編

 

 

阪神淡路大震災の時、

私は関東にいて第2子を妊娠していました。

あの日、

3歳になった長男がかかったインフルエンザが私にうつって

かなり高い熱を出していました。

あわてて病院との間を往復していて、私たち家族は地震のことを知らずに過ごしました。

 

 

こちらは以前に書いた「第2子の妊娠・出産のときの話」に

何度か手を入れたものです

 

 

 

 

 

第1子編に暖かいお言葉をいただきまして、

ありがとうございました。

 

自分の力の及ばないことがあることを頭では分かっていたつもりですが

自分の妊娠・出産がたくさんの方々に

「ご迷惑をかけたのではないか」

という思いにとらわれて感謝を忘れてしまいそうになります。

 

 

皆さんの暖かいコメントが、本当にありがたいです。

 

 

切迫流産から始まる妊娠・出産と、ありがたかったサポート 第1子編 - 空元気も元気! (karagennkihagennki.work)

 

 

 

妊娠・出産には 、当たり前のことなんてありません。

外を歩いているのはその時「たまたま体調のいい妊婦さん」で、

その方だってどこかしら不調を抱えていたりします。

 

 

調子のいい時なら、適度な運動も必要です。

マタニティー スイミングも、エアロビも、ヨガも、あこがれますよね。

当たり前にそういうことができるものだと一人目を産むまでは私も思っていました。

そういう妊婦さんが「普通」と思っていたんです。

 

 

妊娠・出産に、

「普通」のことなんてありません。

 

 

命をおなかに預かっているのですから、「普通」でいられるわけがありません。

思い通りにならなくて当たり前なんです。

胎児は体の中にいますから「24時間営業・休憩なし」の保育器業務です。

とにかく中の人をできるだけ育てて、外に送り出す命がけのミッションです。

 

 

いろんな妊娠・出産があることを

一人でも多くの方に知っていただきたくて書きました。

身近に妊婦さんがいない方も、もし見かけたら「大事にしてね」と

暖かく見守ってあげてください。

 

 

 

私は妊娠期間を、ほぼ「寝たきり」で過ごします。

 

私には実子が3人います。

子供たちが生まれてこられたのは、たくさんの方のご協力あってのことでした。

心から感謝しています。



第2子の妊娠・出産は、一人目の子育てをしながらになるので

当然、第1子の時とは違う大変さがありました。

 

 


第1子は、平成4年1月6日生まれ

第2子は、平成7年1月18日生まれ

第3子は、平成11年1月7日生まれです。

 

 

目次

 

 

第2子妊娠の経緯

 

第1子が1歳半のころ、養育里親をしていた私たち夫婦は

児童相談所から生後5週目の赤ちゃんを里子として預かる機会がありました。

2か月間ほどの期間でしたが、二人の子育てを経験して

「準備した上での2人目の子育ては、何とかできそうだ」

と、夫婦で判断しました。

 

準備の中には、

・私自身の仕事を、一度中止すること

・1歳半から保育室が用意されている自動車学校に

 親子で通って通って、 私が運転免許を取得すること

・10か月間程度、

 夫の実家で第1子を預かってもらう算段をすること

なども含まれていました。

 

 

私のピアノの生徒さんには、休業をお伝えして

ほかのお教室に移っていただきました。

運転免許は取れましたが、

第2子妊娠発覚とほとんど時を同じくして夫の祖母が病床に就き、

義母は介護の任につきました。

夫の実家でのサポートを受けることはできなくなりました。

 

 


妊娠発覚

 

 

今回も、不正出血から妊娠が発覚しました。

 


生理が遅れること5日目で、量の少なめの出血が始まりました。

今回はある程度、妊娠を予期していたのですぐに産婦人科に受診しました。

超音波診断で妊娠が確認され、

「妊娠5週・切迫流産」と診断されました。

 

 

出血量が少ないこと、時期が早いことなどから

とりあえず、

子宮の収縮を抑える「張り止め」の錠剤を投与されて

自宅安静4週間を言い渡されて、帰宅しました。

 



その時期にしていただいたサポート

 

同じ社宅内の3人の子供を育てる先輩お母さんが、

日中、第1子を預かってくれました。

状況が許す限り毎日のように朝10時から、

時には彼女の参加しているママさんバレーの練習する体育館に

ご自分の子供たちと一緒に連れて行ってくれて

夜になるまで、遊ばせてくれました。

 

 

ありがたくて、申し訳なくて、ある日

「本当にありがたいと思っているけれど、

 お返しができそうになくて、申し訳ない。」

という趣旨のことを話しました。

 

彼女は、

「自分もしてもらってきたことだから、

 次の人に順返ししてもらえればいいよ。」

と言ってくれました。

 

 

 

それからは、

自分ができる「順返し」を探しながら

今も 少しずつ

自分のできることでお返しさせていただいています。 

彼女の言葉は、私の人生の指針になりました。

 

 

 

このころ 

私自身は第1子の時の経験から、ほとんど寝たきりで過ごしました。

それでも出血は止まらず、

家事と育児のほとんどを、仕事をしながら夫がすることになりました。

夫はサービスエンジニアで、当時は毎月10日前後の出張がありました

職場にお願いして、当分の間出張を免除していただきました。

 

 

 

 

妊娠7週目に、無認可の保育園で

2歳の息子を受け入れてくれるところが見つかりました。

夫の通勤途中にある駅のホームから見えていた保育園です。

 

 

 

当時の夫のルーティンです 

 

・朝起きると家族の朝食と、私の昼食の準備をしてから

・子供を起こして食事、

・子連れで駅まで歩き、電車に乗って20分ほどの保育園から、出社

 

・退社後、途中で子供を引き取り

・帰宅後、家族の夕食の準備、食事、洗濯、入浴を子供と済ませ

・保育園との連絡ノートを記入、子供の荷物の準備

・翌日の自分の仕事の準備をして就寝

  (子供のお迎えがあるので残業ができないため持ち帰りの仕事もありました)

 

 

夫による、「2歳児と妊婦のワンオペ」です。 

 

仕事時間にあわせると

朝、家を出るのは7時

帰宅は20時過ぎになります。

「魔の2歳児」の世話をしながらの家事は、何をするのも時間がかかります。

子供が眠りにつくのが23時近くになり

夫が休めるのは日付けを過ぎです。

朝は5時過ぎに始動して

6時には子供を起こします。

父子ともに、常に睡眠不足の状態で疲れていました。

保育園からの連絡帳を見ると

息子はお昼寝すると夕方まで起きられなかったようです。

 

 

この時の保育園が、

緊急の入園を受け入れてくださったこと

集団生活のルールを無視して睡眠を補わせてくれたことなど

感謝の思いでいっぱいです。

おかげさまで息子は大きな病気をすることもなく

出産直前までの期間を乗り切ることができました。

 

 

 

妊娠9週目から入院生活

 

自宅安静の4週間が過ぎても

出血が止まらなかったことで、入院することになりました。

 

妊娠9週目~16週目

・張り止め点滴 (24時間)

・鉄剤投与 (12週より)

・歩行禁止 

・ベットわきのポータブルトイレの使用

・軽めの下剤使用 (軽め顆粒漢方薬)

・食事時のみ座って、普通食 

 


・出血は少量になっていきましたが、続いていました。

・第1子の慣れない育児で悪化していたアトピー気管支喘息

 入院の安定した生活で少し収まり始めました。

 アレルギー用の投薬治療を徐々に減らし、塗り薬を中心にして

 授乳終了まで乗り切りました。

・入院した病室は妊婦さんの多い部屋で、

 コミュニケーションがとりやすい状況でした。

 私以外は多胎児のお母さんで

 妊婦4人に、胎児10人というとても不思議な人数でした。

 私のおなかに普通に一人入っているのが妙にさみしかったです。

・寝返り等、一人目の時に比べると心配が少なかったので、

 読書は最初からできました。





この時期のサポート

 

今回の入院は、多少は準備ができたのですが

仕事と家事と育児をしている夫に頼みごとがしにくい状況でした。

時々訪ねてくれる友人たちが、たくさん助けてくださいました。

定期的に社宅の方々が顔を出してくださって、ずいぶん助けていただきました。

 

本の差し入れなども、ありがたかったです。

 




退院前

妊娠17週目~20週目

・張り止め錠剤投薬

・鉄剤投薬

・トイレまでの歩行可

・シャワーOK

・普通食

 

 

・出血がほぼ止まって、

 錠剤による治療ができるようになりました。

・同じフロアー内の歩行ができるようになり、

 帰宅準備期間になりました。




妊娠21週で退院しました。

 

 


退院後の生活

 

退院に際して、次のことを指示されました。

 

・できる限り入院生活と同じように過ごすこと

・立っている時間をできる限り少なくすること

・病院通院以外の外出は控えること

・車の運転不可

・子供の抱き上げ禁止

・荷物の持ち運びは不可

・入浴はシャワーのみ可

 

引き続き、家事・育児のすべてを夫がすることになりました。

第1子の保育園通園は、出産以降まで続けることになりました。

私自身は様子を見ながら、洗濯もののかたずけ、食事の準備など

休憩しながらできることを無理のないように、少しだけしていました。

 

 

 

退院後のサポート

 

生活全般を夫に担当してもらうため、

職場での「出張免除」はとても助かりました。

当時は男性の育休制度はまだなかったので

理解を得るには難しいことも多かったと思います。

出張ありきの職場で「免除」という形でのサポートがなければ

我が家はこの時期を乗り越えられなかったと思います。

 

 

 

免許は取りましたし車も購入済みでしたが、私自身が運転不可を言い渡されていたため

社宅内の友人が定期健診に通うために送迎を引き受けてくれました。

感謝しています。

第1子の時に助けてくれた方とは、別の方でした。

(首都圏にも関わらず今も、なぜかタクシーが来てくれない地域でした。)


マタニティ用品・育児用品は、

第1子の時に友人たちから譲っていただいた時のものを使いました。

ありがたかったです。

 

 

 

 

出産

 

 

周囲の協力と、夫の努力で

ほぼ満期までおなかの中で育てることができました。

 

 

 

アクシデントは出産直前にありました。

予定日の少し前に、第1子がインフルエンザにかかりました。

それが私にうつってしまいました。

 

私自身が発熱し、病院で点滴を受けました。

夜までに熱が下がらないようなら入院するように指示されて帰宅しました。

 

 

全く熱が下がらず、夜、入院になりました。

解熱剤で熱を下げると、すぐに胸が張ってきました。

本来はもう出産が済んでいる状況の体だったようです。

翌朝に陣痛促進剤を使っての出産が決まりました。

 

 

 

バタバタ過ごしていたその日は、平成7年1月17日でした。

 

 

私たち家族は病院と家を往復していて、

その日、報道を見ていませんでした。

翌朝、出産待機室に向かうときに

隣の人が見ていたテレビ画面が目に入りました。

高速道路が倒れていました。

 

阪神淡路大震災の映像でした。

 

 

 

私の場合、陣痛促進剤の効き目が予想より早くて

おなかの痛みが促進剤によるものか、

分娩前に済ませるための下剤によるものか

判断が付きませんでした。

トイレにこもっていると助産師さんに

「陣痛のようですよ。」

と、声をかけられました。

 

 

促進剤投与から2時間ほどで、

3180グラムの第2子を出産しました。

 

 

 

「お疲れ様。」の言葉と一緒に、

夫が阪神の状況を教えてくれました。

私は大阪の大学の出身です。

結婚式にも関西から友人が出席してくれていました。

夫のわかる範囲で友人に連絡を取ろうとしてくれたようですが

個人の連絡は全くつきませんでした。

 

私の子育て状況等もあって、

知人の消息を私が知ったのは、春になってからでした。

 

 

 

次々入ってくる情報に、

「新生児と3歳児がいて、自分もよく動けない状況で

 今もし阪神地区にいたら、どんな状況だろう。

 実際に新生児を抱えるお母さんたちは、

 どうやって今を過ごしているんだろう。」

と思うと、

ものすごく怖くなりました。

当時住んでいた社宅は5階建ての建物で、部屋の外に物置はありません。

車の中に多すぎるほどの防災グッズを、

子育ての間中、私は用意するようになりました。

 

 

病棟の看護師さんたちが、シフトを組みなおして

ボランティアを送り出す準備をしていました。

2日後、数名の看護師さんが阪神に向かいました。 

 

 

退院と新生児の再入院

 


ほぼ予定通りに退院して、家に帰りました。

家の中にインフルエンザ・ウイルスが残っていたようで、

帰宅1週間で、第2子が熱を出しました。

 

新生児の時期は母体からの免疫力があるといわれますが

ウイルス系のものには効きません。

即刻入院して、保育器の中に隔離されました。

手厚い看護のおかげで、すぐに熱は下げられて

ほぼ1週間で退院しました。

 

 

第2子の入院中、

私は母乳を冷凍して毎日病院に運びました。

 

 

後に、新生児病棟の看護婦さんに

「ここにいるのは小さく生まれた子が多いので

 満期で生まれて、大きな声で泣いて、

 たくさんミルクを飲んでくれるあなたのお子さんは

 すごくほっとする存在だったんですよ。」

と、話してくださいました。

 

退院した翌週に、1か月検診で外来に受診しました。

うちの第2子が来ていると聞きつけた病棟のスタッフの皆さんが

交代で、次々会いに来てくっださって

たくさん声をかけていただきました。

「本当に、みなさんに可愛がっていただいたんだな。」

と、ありがたく思いました。

 

 

 

出産・退院後のサポート

 

第1子の時よりも、入院期間が短かったので

私の体力の低下が少しマシで、回復が早かったように思います。

 

夫の方が第2子が生まれた頃には疲れが出てきて

第1子の保育園を終了することにしました。

春には3年保育の幼稚園入園も決まっていましたので

その前に、半年以上甘えたいのを我慢させた第一子の

「大甘え期間」を実施することにしました。

 

 

子育ての負担が少しだけ減って、

夫はそのあとも家事をかなりの部分を分担してくれました。

 

 

夫の祖母は第2子が生まれる少し前に亡くなりました。

法事の合間を縫って、夫の両親が子供たちに会いに来てくれました。

「病人の看病はつらかったけれど、

 こっちに楽しみが待ってると思って

 頑張れたのよ。」

と、義母に言ってもらって

頑張ってよかったと思いました。

 

 

第2子のお世話は、再入院の時は慌てました。

それでも一人目が3歳児の親ともなると、それなりに取り組むことができました。

 

 

不思議なもので、

目いっぱい甘やかすはずの3歳児の「兄ちゃんその1」が

「強力な育児の助っ人」になってくれました。

 

「兄ちゃんその1」がそばにいて、声が聞こえていると

赤ちゃんはご機嫌で過ごせます。

赤ちゃんが機嫌がいいと、兄ちゃんもうれしいので

そばで声をかけながら遊ぶようになります。

いい循環ができて、とてもいい関係ができていたと思います。

 

 

 

まとめ

 

同じ人間の妊娠・出産でも、前と同じように進むわけではないと実感しました。

注意すべきことはある程度心得ていても、状況が変わると思っていたように進みません。

 

 

私は阪神の震災を常に想定しながら、その後の子育てをしてきたように思います。

首都圏に住んでいて、関西での震災がここまで心理的に大きく影響するとは思ってもいませんでした。

ほんの数年でも私が関西に住んだことがあって友人知人がいるので

震災が他人事でなかったことや、

ちょうどのタイミングで子供が生まれたことが恐怖心につながりました。

 

 

子供が持ち込む感染病も、抵抗できないと思いました。

うちの子供たちは、うがい・手洗いをかなりしっかりしますが、

かかるときには、病気にかかります。

自分の体と付き合っていくために、重篤にならない程度なら

「病気も経験」と思うようになりました。

 

 

第1子を生んだのと同じ場所に住んでいたので、

一人目の状況を知っていてくださった方が

私の気づかないところでもたくさんサポートしてくださいました。

 

 

春、

赤っちゃん連れで散歩ができるようになって、兄ちゃんの手を引いて歩いていると

私の知らないお母さんが

「こんにちはー」

と、息子に声をかけてくださいます。

息子も、にこにこしています。

「やっとお母さんにお会いできましたね。

 大変でしたね。

 無事に生まれてよかったですね。」

と、話しかけてくださる方に何人もお会いしました。

 

お尋ねすると、ママさんバレーのメンバーの方々でした。

 

自分の知らないところでたくさんの方々が手を貸してくださったこと

たくさんの方のお世話になったことを

忘れずにいようと思いました。

 

 

幼稚園、小学校と進むうちに

その思いは大きくなるばかりでした。

「親だけでは子供は育たないな。」

「外で育てていただくことが、たくさんあるな。」

と思いました。

 

 

 

 

第3子は、また全然別の妊娠・出産でした。

懲りないやつだと、思ってください。

第3子編に続きます。

 

 

micyam-ucyan.hatenabl 

 

 

 

プライバシーポリシー    広告の配信について  当サイトは第三者配信の広告サービス「Googleアドセンス」の利用を予定しています。 広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた広告を表示するために「Cookie(クッキー)」を使用することがあります。 Cookieを無効にする設定およびGoogleアドセンスに関して、詳しくはこちらをクリックしてください。 また、当ブログは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加を予定しています。 第三者がコンテンツおよび宣伝を提供し、訪問者から直接情報を収集し、訪問者のブラウザにCookie(クッキー)を設定したりこれを認識したりする場合があります。    アクセス解析ツールについて  当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール「Googleアナリティクス」を利用しています。 このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。 このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。 この機能はCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。 この規約に関して、詳しくはこちらをクリックしてください。    当サイトへのコメントについて  当サイトでは、スパム・荒らしへの対応として、コメントの際に使用されたIPアドレスを記録しています。 これはブログの標準機能としてサポートされている機能で、スパム・荒らしへの対応以外にこのIPアドレスを使用することはありません。 当サイトでは、次の各号に掲げる内容を含むコメントは管理人の裁量によって承認せず、削除する事があります。   ・特定の自然人または法人を誹謗し、中傷するもの。   ・極度にわいせつな内容を含むもの。   ・禁制品の取引に関するものや、他者を害する行為の依頼など、法律によって禁止されている物品、行為の依頼や斡旋などに関するもの。   ・その他、公序良俗に反し、または管理人によって承認すべきでないと認められるもの。    免責事項  当サイトで掲載している画像の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属致します。権利を侵害する目的ではございません。 記事の内容や掲載画像等に問題がございましたら、各権利所有者様本人が直接メールでご連絡下さい。確認後、対応させて頂きます。 当ブログからリンクやバナーなどによって他のサイトに移動された場合、移動先サイトで提供される情報、サービス等について一切の責任を負いません。 当サイトのコンテンツ・情報につきまして、可能な限り正確な情報を掲載するよう努めておりますが、誤情報が入り込んだり、情報が古くなっていることもございます。 当サイトに掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。          運営者:はむすた母娘   初出掲載:2019年10月06日