「はむすた母」です
このブログの読者様と、私のTwitterのフォロワー様に
小さなお子様を育てているパパ、ママがおられます
子育て真っ最中の、しんどいつぶやきや
育休中に感じている不安
夫婦で育児に対する認識のずれに対する不満
それらを見かけるたびに
「ワンオペがかなりあった我が家が、
何とか夫婦ともに共通認識が持てていたのは
なぜだったんだろう」
と、考えていました
- 思い出せない記憶
- あるtweetから、私が思い出したこと
- 子育ての開始時期
- 第1子が生まれてから共通意識
- 第2子妊娠時のワンオペ
- 第3子妊娠時のワンオペ
- 職場の協力
- 我が家的ワンオペ
- 「おとーさん、偉い!」
思い出せない記憶
うちには3人の実子がいます
次の成人式で、一番下の子が成人します
子供たちが生まれてから だいぶ時間がたったので、
忘れていることが多いです
それでもこのところ、私のワンオペを記事にしようと思って
丁寧に記憶をたどっていました
そうこうしているうちに私の中の記憶が、
一部抜け落ちていることに気が付きました
私ひとりで子供を見ている時間が
ほぼ、抜け落ちているのです
おとーさん(夫)がいる時間や、
ママ友たちと一緒にいた時間は思い出せるのですが
一人で一人目を見ていた時間が、ほとんど思い出せません
あるtweetから、私が思い出したこと
あるtweetで、
男性の育休も、出産直後からがいい
できることなら出産前から休めると、
夫婦の目線が同じになって理想的だ
という、つぶやきを読みました
そういえば我が家の一人目の誕生は、お正月休み明けで
私と子供が退院してくる時には
1週間の有給休暇をおとーさんが取得したんだったなぁ
と、思い出しました
「それがよかったのかねぇ」
と、おとーさんに言うと
「おとーさんの場合、妊婦のワンオペから始まったからね~」
と、にやりとされました
子育ての開始時期
我が家の場合、父親の子育て参加は
寝たきり妊婦の世話をすることから始まります
おとーさんが言いました
「誰かの面倒を見ながらの家事っていうのは
相手が、何をつらいと思っているのか
何を必要としているのか考えながらになるから
一人暮らしの家事とか、大人二人の家事とはだいぶ違うよね」
入院中は、どうやって動けない時間を過ごすかが大問題です
退院後は、食事の世話が大問題になります
自由が利かないし、初産の不安もあったりで
めんどくさい相手の世話だっただろうと
今考えると思います
(私自身ことなので、自分としては頑張ったつもりとしか言えないんですよね)
「しんどいことは、しんどかったんだよね
でも、『産まれるまでは、保育器に徹する』って言ってたから、
とにかく産まれるまで、
そこまで頑張ればって、
思ってた」
確かに、妊婦の面倒を見るワンオペは
出産で終了します
当時のおとーさんがよく口ずさんでいたのは
大事MANブラーサーズバンドの『それが大事』
でした
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第1子が生まれてから共通意識
当時よく話していたのが
「子供にとって、親っていうのは2分の1づつの存在ではなくて
父親として1分の1
母親として1分の1
それぞれの代わりを、それぞれがすることはできない」
という話です
父親は母親の変わりはできないし
母親は父親の変わりはできない
もちろん、フォローできることはあるけれど
その存在は、別のものだということをよく話しました
性差による役割分担は考えていませんでしたが、
それぞれの存在は常に尊重する必要があると考えていたのです
仕事柄、出張が多いので
おとーさんがいない時間は、一人目の時からかなりありました
赤ちゃんが、わかってもわからなくても
電話での声掛けをおとーさんが欠かさなかったのは
その意識からだったと思います
いてもいなくても、おとーさんの話題を毎日何かしら
私は子供とするようにしていました
第2子妊娠時のワンオペ
私が入院してからの時期、
おとーさんのワンオペは
どう考えても過酷なものだったと思います
朝、2歳児を起こし、ご飯を食べさせて
出勤準備と保育園の準備をして出かけ
出勤途中の最寄り駅で保育園に子供を預けて
さらに電車を乗り継いで出社
夜、退社途中で子供を引き取り、電車に乗り継いで帰宅
子供に食事をさせて、入浴させ、保育園との連絡ノートをつけて
洗濯、翌日の準備、就寝
この生活が、約半年続きました
私の入院中は、病院にも通ったので
この時期のおとーさんの生活は過酷さを極めたと言えます
(大げさな表現だとは思いません)
この時期に、おとーさんが話題にしたのが
「『大変だね』って言ってくるのは、
なぜかフルタイムで働くお母さんたちで、
『同じことやってるでしょう』っていうと
『まあ、そうなんだけどね』って言うんだよね」
保育園でのお父さん方の話題も少しはありましたが
お母さん方の話題の方が、多かったように思います
保育園の送り迎えが、圧倒的にお母さんが多かったからでしょう
同じ保育園の保護者で作るチャットスペースの必要性を感じて、
動こうとしていたことがありました
私にも、参加を勧めてくれました
ワンオペ育児には、ほかの保護者とのつながりが必要性だと
おとーさん自身が感じていたんだと思います
第3子妊娠時のワンオペ
「仕事が忙しい時期だったから、
家にいられる時間にできることをするだけで
ワンオペの意識はないなぁ」
「子供らがお風呂に入ってる間にご飯作って、
食べさせたら『じゃ、時間になったら寝るんだよ』って
会社に戻ってたからね~」
寝込んではいましたが、私が家にいて声掛けができていたこと
「小1」、「年少」だった兄ちゃん’sが 頑張ってくれたこと
妊婦である私は、つわりがきつくて全く食物を必要としなかったことで
ワンオペの意識はなかったそうです
それって、なんか、すごいなぁ
おとーさんも、きつい時間を忘れてるってことなのかなぁ
この年、妊婦の病院の送り迎えと
小学校、幼稚園の行事参加で
有給を使い切って、さらに休暇申請していたんです
会社での立場は難しかったと思うのです
子供たちの夕食の準備も、
会社から5分の徒歩圏に住んでいたとは言え
定時で一度、仕事を切り上げて帰宅して
1時間でまた会社に戻る生活だったので
物理的にも、かなり大変だったと思います
職場の協力
我が子が生まれたのは、1990年代のことです
父親がワンオペをすることに対して
職場の理解があったとは思いません
我が家の状況に対して、
個別の案件として、協力していただいたんだと思います
本来、出張ありきの職場で、
出張の免除は難しかったでしょう
深夜残業も普通にあった職場で、
保育園にお迎えするために定時に上がるのを許可するのは
大変なことだったと思います
残業時間の中抜けも、ありえないことだったはずです
本人の病気でもなく、介護するのが妊婦というのは
当時の感覚では、ありえないことだったのではないでしょうか
子供の学校、幼稚園行事のために父親が仕事を休むことも
まだ珍しかった時期のことです
我が家としては、職場の協力に感謝してもしきれません
それでも、おとーさんの職場では我が家のケースを経て、
入学式や卒業式、運動会等休みを取る空気ができてきました
おとーさん自身が、ほかの方の行事に対して
「今年は入学式でしょう?」
「小学校同じだから、この日は運動会だよね」
と、声掛けすることで
父親が家族の行事を理由に休暇をとることに
積極的になっていったようです
周りも、気を遣うようになったと聞きました
それをきっかけに、職場で家庭での話を
少しづつするようになっていったようでした
それぞれの家庭には、それぞれの悩みがあることを言えるようになって
お互いにサポートしようという空気も
少しはできてきたように感じました
ほんの数回でしたけれど、
お子さん連れで遊びに来た方もいましたし、
子育てのことや、奥様との考え方の違いに何かを感じて
うちに話をしに来た方もおられました
「しんどい時には、来ていいよ
子供も預かるよ」
「長期になるなら、児童相談所を通してくれれば
正式に里親になるよ」
そんな声掛けしかできませんでしたけれど、
最近になって、飲み会の席でおとーさんが
「当時はその言葉が、すごく助かった」
と、声をかけていただいたそうなので
どうやら、それはそれで良かったみたいです
(当時我が家は、里親登録をしていました)
我が家的ワンオペ
最初にも書きましたが、
私自身は自分がしたワンオペの大部分を忘れています
おとーさんの仕事は出張が必須で
国内なら1週間から20日
国外なら3週間から2か月
第1子がうまれた直後からありました
第3子入園後は、3年の単身赴任もありました
現在も、週に2日~4日の出張があります
移動日等で、連絡ができない場合を除き
おとーさんは家に定時連絡をしてきます
子供たちが育つ頃、海外からでもスカイプで
朝、タイムキーパーをしていました
休日には、一人一人と話す時間を作っていました
存在感で言えば、
家にいない時もおとーさんの存在感はありすぎぐらいで
私がワンオペしていたとは、子供たちは認めないかもしれません
むしろ、妊娠中から子育てを始めている
おとーさんこそがワンオペしていたんだと
今回の話で認識しました
我が家にワンオペの共通認識があるのは、そんな事情だったのだと
再認識した今日でした
「おとーさん、偉い!」