空元気も元気!

ちょっとだけ頑張った日の記録です

切迫流産から始まる妊娠・出産と、ありがたかったサポート 第2子編

 

第1子編に暖かいお言葉をいただきまして、ありがとうございました。

 

自分の力の及ばないことがあることを理解してはいるつもりですが

自分の妊娠・出産が

たくさんの方に

「ご迷惑をかけたのではないか」

とどうしても感じてしまって

感謝を忘れてしまいそうになります。

 

皆さんの暖かいコメントが、本当にありがたいです。

 

 

妊娠・出産は 、当たり前のことなんて ありません。

外を歩いているのは、その時「たまたま体調のいい妊婦さん」で、

その方だってどこかしら不調を抱えていたりします。

 

調子のいい時なら、適度な運動も必要です。

マタニティー スイミングも、エアロビも、ヨガも

あこがれますよね。

当たり前にそういうことができるものだと

一人目を産むまでは私も思っていました。

そういう妊婦さんが「普通」と思っていたんです。

 

 

妊娠・出産に、普通のことなんてありません。

 

 

命をおなかに預かっているんですから、普通でいられるわけがありません。

思い通りにならなくて当たり前です。

体の中にいますから24時間営業・休憩なしの保育器業務です。

とにかく中の人をできるだけ育てて、外に送り出すミッションです。

 

いろんな妊娠・出産があることを知っていただきたくて書きました。

身近に妊婦さんがいない方も、

もし見かけたら「大事にしてね」と、

暖かく見守ってあげてください。

 

 

 

私は妊娠期間を、ほぼ「寝たきり」で過ごします。

 

私には実子が3人います。

子供たちが生まれてこられたのは、

たくさんの方のご協力あってのことでした。

心から感謝しています。



第2子の妊娠・出産は、一人目の子育てをしながらになるので

当然、第1子の時とは違う大変さがありました。


第1子は、平成4年生まれ

第2子は、平成7年の生まれです。

 

 

目次

 

 

第2子妊娠の経緯

 

第1子が1歳半のころ、

児童相談所から生後5週目の赤ちゃんを里子として預かる機会がありました。

2か月間ほどの期間でしたが、二人の子育てを経験して

「準備した上での2人目の子育ては、何とかできそうだ」

と、夫婦で判断しました。

 

準備の中には、

・私自身の仕事を、一度中止すること

・1歳半から保育室が用意されている自動車学校に親子で通って通って、

 私が運転免許を取得すること

・10か月程度、主人の実家で第1子を預かってもらう算段をすること

なども含まれていました。

 

ピアノの生徒さんには、休業をお伝えして

ほかのお教室に移っていただきました。

運転免許は取れましたが、

第2子妊娠発覚とほとんど時を同じくして 主人の祖母が病床に就き、

サポートを受けることはできなくなりました。

 

 


妊娠発覚

 

 

今回も、不正出血から妊娠が発覚しました。

 


生理が遅れること5日目で、量の少なめの出血が始まりました。

今回はある程度、妊娠を予期していたので

すぐに産婦人科に受診しました。

超音波診断で妊娠が確認され、妊娠5週・切迫流産と診断されました。

 

 

出血量が少ないこと、時期が早いことなどから

とりあえず、子宮の収縮を抑える「張り止め」の錠剤を投与されて

自宅安静4週間を言い渡されて、帰宅しました。

 



その時期にしていただいたサポート

 

同じ社宅内の3人の子供を育てる先輩お母さんが、

日中、第1子を預かってくれました。

状況が許す限り毎日のように朝10時から、

時には彼女の参加しているママさんバレーの練習する体育館に

ご自分の子供たちと一緒に連れて行ってくれて

夜になるまで、遊ばせてくれました。

 

 

ありがたくて、申し訳なくて、ある日

「本当にありがたいと思っているけれど、

 お返しがでいきそうになくて、申し訳ない。」

という趣旨のことを言いました。

 

彼女は、

「自分もしてもらってきたことだから、

 次の人に順返ししてもらえればいいよ。」

と言ってくれました。

 

 

 

それからは、

自分ができる「順返し」を探しながら

今も 少しずつ

自分のできることでお返しさせていただいています。 

 

 

このころ 

私自身は第1子の時の経験から、ほとんど寝たきりで過ごしました。

それでも出血は止まらず、

家事と育児のほとんどを、仕事をしながら主人がすることになりました。

主人は職場にお願いして、出張を免除していただきました。

 

 

 

 

3週目からは

 

・主人が、通勤途中にある無認可保育園に子供を預けて出社し

・退社後、途中で子供を引き取り

・帰宅後、夕食の準備、食事、洗濯、入浴を子供と済ませ

・翌日の準備をして就寝。

 

・朝、朝食と、私の分の昼食の準備をしてから

・子供を起こして食事、

・電車で20分ほどの保育園から、出社

 

というサイクルの生活になりました。

 

父子ともに、常に睡眠不足の状態で、

子供はお昼寝すると夕方まで起きられなかったそうです。

 

無認可保育園とはいえ、緊急の入園を受け入れてくださったこと、

集団生活のルールを無視して睡眠を補わせてくれたことなど

感謝の思いでいっぱいです。

 

 

 

妊娠9週目から入院生活

 

自宅安静の4週間が過ぎて 定期健診にて、

出血が止まらなかったことで、入院することになりました。

 

妊娠9週目~16週目

・張り止め点滴 (24時間)

・鉄剤投与 (12週より)

・歩行禁止 

・ベットわきのポータブルトイレの使用

・軽めの下剤使用 (軽め顆粒漢方薬)

・食事時のみ座って、普通食 

 


・出血は少量になっていきましたが、ある程度続いていました。

・第1子の慣れない育児で悪化していたアトピー気管支喘息

 入院の安定した生活で少し収まり始めました。

 アレルギー用の投薬治療を徐々に減らして、アトピーの塗り薬を残し

 通常の半分の薬の量で授乳終了まで乗り切りました。

・妊婦さんの多い部屋で、コミュニケーションがとりやすい状況でした。

 ただし、私以外は多胎児のお母さんで

 妊婦4人に、胎児10人というとても不思議な人数でした。

 (私のおなかに普通に一人入っているのが、妙にさみしかったです。笑)

・寝返り等、心配なかったので、読書は最初からできました。





この時期のサポート

 

今回の入院は、多少は準備ができたのですが

仕事と家事と育児をしている主人に、頼みごとがしにくい状況でしたので

時々訪ねてくれる友人たちに、お願いすることがいくつかありました。

ここでも、同じ社宅の方々が顔を出してくださって、

ずいぶん助けていただきました。

 

本の差し入れなど、ありがたかったです。

 




退院前

妊娠17週目~20週目

・張り止め錠剤投薬

・鉄剤投薬

・トイレまでの歩行可

・シャワーOK

・普通食

 

 

・出血がほぼ止まって、錠剤による治療ができるようになりました。

・同じフロアー内の歩行ができるようになり、帰宅準備期間になりました。




妊娠21週で退院しました。

 

 


退院後の生活

 

退院に際して、次のことを指示されました。

・できる限り入院生活と同じように過ごすこと

・立っている時間をできる限り少なくすること

・病院通院以外の外出は控えること

・車の運転不可

・子供の抱き上げ禁止

・荷物の持ち運びは不可

・入浴はシャワーのみ可

 

引き続き、家事・育児のすべてを、主人が主体ですることになりました。

第1子の保育園通園は、出産以降まで続けることになりました。

私自身は様子を見ながら、洗濯もののかたずけ、食事の準備など

休憩しながらできることをしていました。

 

 

 

退院後のサポート

 

生活全般を主人に担当してもらうため、

職場での「出張免除」はとても助かりました。

出張ありきの職場で「免除」という形でのサポートがなければ

この時期を乗り越えられなかったと思います。

 

 

免許は取りましたし車も購入済みでしたが、運転不可のため

友人が定期健診に通うために送迎を引き受けてくれました。

感謝しています。

第1子の時とは別の友人でした。

(前の時の友人は、転勤で社宅を離れておりました)

(首都圏にも関わらず今も、なぜかタクシーが来てくれない地域のようです)


マタニティ用品・育児用品は、

前に譲っていただいた時のものを使いました。

ありがたかったです。

 

 

 

 

出産

 

 

周囲の協力と、主人の努力で

ほぼ満期までおなかの中で育てることができました。

 

 

アクシデントは出産直前にありました。

予定日の少し前に、第1子がインフルエンザにかかりました。

それが私にうつってしまいました。

 

発熱し、病院で点滴を受けました。

夜までに熱が下がらないようなら、入院するように言われて帰宅しました。

熱が下がらず、夜、入院。

解熱剤で熱を下げると、胸が張ってきました。

本来はもう出産が済んでいる状況の体だったようです。

翌朝に陣痛促進剤を使っての出産が決まりました。

 

 

バタバタ過ごしていたその日は、平成7年1月17日でした。

私たち家族は病院と家を往復していて、報道を見ていませんでした。

翌朝、出産待機室に向かうときに

隣の人が見ていたテレビ画面が目に入りました。

高速道路が倒れていました。

阪神淡路大震災の映像でした。

 

 

私の場合、陣痛促進剤の効き目が予想より早くて

おなかの痛みが促進剤によるものか、分娩前に済ませるための下剤によるものか

判断が付きませんでした。

トイレにこもっていると助産師さんに

「陣痛のようですよ。」

と声をかけられました。

 

促進剤投与から2時間ほどで、

3180グラムの第2子を出産しました。

 

 

 

「お疲れ様。」の言葉と一緒に、

主人が阪神の状況を教えてくれました。

主人のわかる範囲で、友人に連絡を取ろうとしてくれたようですが

個人の連絡は全くつきませんでした。

(友人たちに連絡がついたのは、春になってからでした。)

 

次々入ってくる情報に、

「新生児と3歳児がいて、自分もよく動けない状況で

 今もし阪神地区にいたら、どんな状況だろう。

 実際に新生児を抱えるお母さんたちは、どうしているんだろう。」

と思うと、ものすごく怖くてトラウマになりました。

車の中に多すぎるほどの防災グッズを用意するようになりました。

 

 

病棟の看護師さんたちが、シフトを組みなおして

ボランティアを送り出す準備をしていました。

2日後、数名の看護師さんが阪神に向かいました。 

 

 

退院と新生児の再入院

 


ほぼ予定通りに退院して、家に帰りました。

家の中にインフルエンザ・ウイルスが残っていたようで、

帰宅1週間で、第2子が熱を出しました。

 

新生児の時期は母体からの免疫力があるといわれますが

ウイルス系のものには効きません。

 即刻入院して、保育器の中に隔離されました。

手厚い看護のおかげで、すぐに熱は下げられて

ほぼ1週間で退院しました。

 

 

入院中、私は母乳を冷凍して毎日病院に運びました。

 

 

あとから、新生児病棟の看護婦さんに

「ここにいるのは小さく生まれた子が多いので

 満期で生まれて、大きな声で泣いて、

 たくさんミルクを飲んでくれるあなたのお子さんは

 すごくほっとする存在だったんですよ。」

と、話してくださいました。

 

退院した翌週に、1か月検診で外来に受診したとき

病棟から交代で、先生方や看護師さんが会いに来てくっださって

たくさん声をかけていただきました。

「本当に、みなさんに可愛がっていただいたんだな。」

と、ありがたく思いました。

 

 

 

出産・退院後のサポート

 

第1子の時よりも、入院期間が短かったので

私の体力の低下が少しマシで、回復が早かったように思います。

 

主人の方が、第2子が生まれた頃には疲れが出てきて

第1子の保育園を終了することにしました。

春には3年保育の幼稚園入園も決まっていましたので

その前に、

半年以上甘えたいのを我慢させた第一子の

「大甘え期間」を実施することにしました。

 

 

子育ての負担が少しだけ減って、

主人はそのあとも春ごろまで、家事をかなりの部分を分担してくれました。

 

 

主人の祖母は、第2子が生まれる少し前に亡くなりました。

法事の合間を縫って、主人の両親が子供たちに会いに来てくれました。

「病人の看病はつらかったけれど、

 こっちに楽しみが待ってると思って頑張れたよ。」

と、義母に言ってもらって

こちらで頑張ってよかったと思いました。

 

 

第2子のお世話は、再入院の時は慌てましたが

私たちも一人目が3歳児の親ともなると、それなりになっていて

余裕をもって取り組むことができました。

 

余裕があると不思議なもので、

目いっぱい甘やかすはずの3歳児の「兄ちゃんその1」が

「強力な育児の助っ人」になってくれました。

 

「兄ちゃんその1」がそばにいて、声が聞こえていると

赤ちゃんはご機嫌で過ごせます。

赤ちゃんが機嫌がいいと、兄ちゃんもうれしいので

そばで声をかけながら遊ぶようになります。

いい循環ができて、とてもいい関係ができていたと思います。

 

 

 

まとめ

 

同じ人間の妊娠・出産でも、

前と同じように進むわけではないと実感しました。

注意すべきことはある程度心得ていても、

状況が変わると思っていたように進みません。

 

 

阪神の震災を常に想定しながら、

その後の子育てをしてきたように思います。

首都圏に住んでいて、

関西での震災がここまで大きく影響するとは思っていませんでした。

ほんの数年でも関西に住んだことがあって

友人知人がいるので震災が他人事でなかったことや、

ちょうどのタイミングで子供が生まれたことが恐怖心につながりました。

 

 

子供が持ち込む感染病も、抵抗できないと思いました。

今もうちの子供たちは、うがい・手洗いをかなりしっかりしますが、

かかるときには、病気にかかります。

自分の体と付き合っていくために、

重篤にならない程度なら、「病気も経験」と思うようになりました。

 

 

第1子を生んだのと同じ場所に住んでいたので、

一人目の状況を知っていてくださった方がたくさんいらして

私の気づかないところでも たくさんサポートしてくださいました。

 

 

散歩ができるようになって、兄ちゃんの手を引いて歩いていると

私の知らないお母さんが

「こんにちはー」

と、子供に声をかけてくださいます。

「やっとお母さんにお会いできましたね。

 大変でしたね。

 無事に生まれてよかったですね。」

と、話しかけてくださる方も 何人にもお会いしました。

 

お尋ねすると、ママさんバレーのメンバーの方々でした。

 

自分の知らないところで、

たくさんの方々が手を貸してくださったこと、

たくさんの方のお世話になったことを、

忘れずにいようと思いました。

 

幼稚園、小学校と進むうちに、その思いは大きくなるばかりでした。

「親だけでは子供は育たないな。」

「外で育てていただくことが、たくさんあるな。」

と思いました。

 

 

 

 

第3子は、また全然別の妊娠・出産でした。

懲りないやつだと、思ってください。

第3子編に続きます。

 

 

www.micyan-ucyan.work

 

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