神戸のはなし、続きます。
三ノ宮からメリケンパークのほうへ行こうと歩いたいたら、
大きな鳥居を見つけました。
「どこに本殿があるの?」
と、たどっていきました。
線路をくぐって、さらに先に「生田神社」はあります。
『日本書紀』に出てくる古いお社。
合戦や水害、空襲や震災にあっても
場所を変え、何度も復興してきた神社は
最近は「蘇る神様」としてあがめられているそうです。
お祀りされているのは「稚日女尊」わかひるめのみこと様
(あ、神様に「さま」ってつけちゃダメですか?)
「稚く瑞々しい日の女神」というお名前を持つ神様です。
ご門も、本殿も華やかで、おしゃれです。
私たちがうかがったときは、節分のかたずけをしていました。
普段のお姿に戻っていく途中の、
ちょっとほっとする空気です。
せっかくのご縁なのでと
19歳娘「みーちゃん」が、おみくじを引きました。
本殿の狛犬さんに触れてご挨拶するようにとのことだったので
しっかりと、ご挨拶です。
お参りしてから、撮影させていただきました。
狛犬さんとか、お狐さんとか、
大好きなんです。
またうかがう機会があるといいな。
気温は低かったけれど、
温かな空気に包まれたお参りになりました。
神戸の名前のもとにもなっている「生田神社」
大変な時も、穏やかな時も この町の方々に慕われて
ずっとそこにあるということを、かみしめました。
私事ですが、
うちの兄ちゃんその2は、平成7年1月18日生まれ。
阪神の震災の翌日の生まれです。
関東で生まれたので直接被災したわけではありません。
お世話になった病棟の看護婦さんたちは
シフトを組みなおして被災地に仲間をすぐに派遣していたのを
間近で見ていました。
もしも、今ここで新生児を抱えてあの地震にあったらと
何度も考えては、あれこれ準備したことも覚えています。
大学時代を大阪で過ごし、
関西が当時「地震の少ない場所」だと実感したことがありました。
あのころ一度だけ、夜に震度3の地震にあったんです。
関東・東北育ちの私にとって震度3の地震は、1時間後には記憶のかなた。
なのに翌朝、大学は地震の話で持ち切りで、
「昨夜みたいな地震、ばあちゃんが子供のころにあったって言ってた!」
という地元っ子の同級生に
「震度3で、ばあちゃんの記憶を呼び覚ます?!」
と、驚いたことを覚えています。
そんな所に、あの震災。
どうしているか気になりながら、自分の生活にかまけて
神戸にたどりつくまで、こんなに時間がかかってしまいました。
今、その下に生まれた娘とお参りできることに
たくさん感謝して手を合わせてきました。
あたたかで、穏やかな空気のお社様でした。