2025年1月と2月、3月の近況報告です。
こちらは個人的な備忘録になります。
お忙しい方は春に役立つブロガーさまの記事におすすめおすすみください。
上の写真ですが、お線香に火をつける時のライフハックです。
お線香の火が倒れた事が原因の火事がありましたが、この方法でかなり危険を回避することができます。
乾いた灰の上ならお線香はきちんと燃えますし、半分に折るので見届ける時間も短くすることができます。
日常的にお線香を立てる方は、横にすることを検討してみてください。
1月20日
午後をわまってゆっくりしていた時間でした。
夫の電話に着信がありました。
「義父が大動脈瘤破裂して病院に担ぎ込まれた。今ならまだ話ができるので急いで来て欲しい。」
病院からの電話でした。
義父に大動脈瘤があることや、もう手術はしない方針であることは私たちも知っていました。
その大動脈瘤の破裂なら、即死に近いのではないだろうかとも思っていました。
話ができるというのはすごいことなので、病院に向かう車中からあちこちに連絡して、可能であるならば駆けつけられる人には来てもらいう事にしました。
病院に着くと、少し前に到着した義妹が父からの指示をメモに書き取っていました。
貴重品のありか
自らの葬儀の方法
お昼ごはんを食べ損なっている母に食事をさせてくれ
台所の塩の後にある養命酒の箱の中に、弟に渡すお酒があるから必ず渡してくれ
という指示までありました。
私達の顔を見ると、
「乗り捨てた車が某店舗の駐車場にあるので、取りに行ってほしい」
と言いました。
疲れてぼんやりしている義母を連れて、私達は義実家に戻ることなりました。
車を取りに行ってみると、駐車場に不自然に斜めに停められた義父の車がありました。
お店の方が
「ご自分で救急車を呼んでおられました」
と、教えてくれました。
運転中に異変を感じた義父が、近くの駐車場に飛び込んで義母に電話をさせたようです。
近くには中学校や高校のある場所で、土曜日のお昼過ぎ、部活で登校していた子供達も近くを歩いていたでしょうに、よくぞ事故を起こさずにいてくれたと思いました。
その夜2時過ぎ
医師の判断で家族が呼ばれました。
交代でそばについていた夫によると義父は少し前まで痛がって辛そうだったようですが、義母や義妹が到着した時には穏やかでした。
「喉が渇いたから自動販売機まで行ってくる」
そう言って義母が部屋を出た数秒後に父は亡くなりました。
「ずるいなぁ、最後までしんどいとこ見せないんだから。」
と、夫は嘆いていました。
義妹の希望で義父は自宅に戻りました。
葬儀までの3日間、100名以上の方がお別れにみえました。
葬儀も本人は30名前後の準備をしていたのですが、結果的には70名以上の方が訪れ会場の外に溢れました。
一つの地域に50年以上暮らして、親しいお付き合いがたくさんあって、
義父が頼りにされていたのだなぁとありがたく思いました。
うちの息子どもが葬儀に顔を出さなくて、申し訳がたたなかった話は………いずれまた………
この子は花より葉っぱの方が好きみたいで、たくさんつついた後がありました。
義父が亡くなると、義母の生活が問題となりました。
この数年のコロナ禍もあり、義父の希望もあり、私達は義母の生活を義父に任せていました。
数年前から義父の希望は義母と同じ施設で暮らすことだったのですが、介護度に差がある2人が同じ施設で暮らすというのはなかなか現実的ではありませんでした。
そのため義父は自分で義母を介護することを選んでいました。
現状、誰かと一緒にいるならば義母の生活は何とかなるのですが、ひとりで暮らすのは無理な状態です。
実子は、夫と義妹の二人です。
夫が相続担当、義妹が義母の今後についての担当となって手続きに動きました。
二人はフルタイムの仕事を持っているので、時間にやりくりをつけられる私が先行きが決まるまで義母と義実家で過ごすことになりました。
義母との生活は穏やかなものです。
共通の趣味が多いので話題に事かきません。美味しいものが大好きでよく食べ、よく笑い、楽しい時間を努めて過ごしました。
夜、寝る前に義父の遺影の前で
「今日も一日無事に過ごせました」
と、2人で並んで報告するのが日課でした。
「私、ここで一人で暮らせないかな」
から始まる会話を、義母とは毎日何度も繰り返しました。
義母にはポリシーとも言える、思いがあります。
それは「子供たちに迷惑をかけない」ということです。
義母にとって何が迷惑なのかは不明ですが、そのポリシーから私達の住まい近くに来ることも義妹の住まいの近くに来ることも絶対的に拒否されました。
そんな中、ケアマネージャーさんが新しく設立される施設を市内で見つけてきてくれました。
3月1日から運営が始まる施設で、義母には合っているのではないかと判断し入居を決めました。
どこからともなく義母が家を離れると聞きつけた人達がたくさん家を訪れました。
義母には施設がどんなところかお試しで施設に行ってみるように頼んでいたので、
家に来た方にはそのようにお話ししたのですが
「帰ってきたら遊びに来るから、分かるように大きな旗を出してねー!」
と、返されて
みんなで大笑いさせてもらいました。
義母の育てていた鉢植えの薔薇を、地植えにしてきました。
義実家の家は義妹の希望で、しばらくそのままに置くことになりました。
人のいない家は荒れるので早めに片付けるように話してはありますが、義妹は片付けることにも抵抗があるようで私は少し心配しています。
義母が施設に移ってから「食料品だけは虫が出ると他のものにも着くから」と言い含めて片付けて来ましたが、使いかけで忘れられたものと大量のストック品があって参りました。
私が帰宅した日の朝、地植えした薔薇が新芽をつけていたので写真に収めてきました。
薔薇の様子見に、出かけてみようかなと思います。
入居後、初めは毎日義母から電話がありました。
手元にお金が無いことの不安や、家の鍵を閉めて来なかった気がするという話しでした。
二週目に入って、電話は少し減ってきた気がします。
先週末、義妹が施設に様子を見に行ったことを知らせてくれました。
外の空気を吸いに誘いだそうとしたら、居心地がいいのか「外に行くより、部屋においで」と言われたそうです。
義母が嫌がっていないのなら、今はそれで十分と思います。
義父の納骨は暖かくなってからを予定しています。
その頃までに義母が落ち着いてくれたらいいなと思っています。
義実家でゆっくり過ごしていたつもりでしたけれど、くたびれたみたいで久しぶりの我が家で階段から落っこちて左足首を捻挫しました。
そうは言っても帰って来れば、待ったナシの事が色々とあります。
実母の胃がん手術後2年経過の検査が帰宅の翌日でした。
結果は、担当医が喜ぶくらいに良好です。
その母には、確定申告を早くしてくれとせっつかれています。
(元気なら自分でやって欲しいです。)
電話で遠隔でしかできなかった仕事はかなり心配な状況で、足が痛いなんて言っている場合ではないのですけど
無理に動いたら動いたで色々悪化させそうな気がするので、今週は大人しくしていようと思います。
義母といると毎日三色食べて更にお茶の時間が3回という生活で、しかもひとりで動く事が出来なかったのでかなり体重を増やしました。
暴飲暴食は避けてマジメに体調管理に勤しもうと思います。
家の中も片付けないと…
近況報告を読んで下さった皆さまへ
お読みいただきありがとうございました。
父と義父と、二年連続で見送った年明けとなりました。
私は淡々と日々を過ごしております。
皆さまに穏やかな春が訪れますように
こころよりお祈り申し上げます。