あれよあれよと3月ですね
2月の備忘録とお気に入りの写真です
冬季オリンピックが終わらないうちに、ウクライナとロシアの情勢が戦闘に突入しました
あの辺りの地域のことを勉強してこなかったなと反省しつつ、 自分の興味の持てそうな所から見たり聞いたり読んだりしています
人も文化も 地域も気候も、理解が追いつかない事が多いです
それでも 「戦争に反対している」 という立場だけはブレずに学びいたいと思います
「被写体としてお気に入りの木」は、まだまだ冬の装いですが
周囲の田は3度目、4度目の田起こしを済ませて
あぜ道には ホトケノザや オオイヌノフグリが 小さな小さな花を付けています
一週間に2回ぐらい、2~3時間の散歩をしたいと思っています
実際に3時間を確保できる日はなかなかなくて、 90分あったら出かけてしまおうというのが最近の私の傾向です
3時間以上の時間があったら
少し遠くへ出かけてしまおうと考えています
90分あったら
近所を歩きます
60分以上確保できたら
文字が多めの本を読んだり
ブログを書こうと準備したり
45分確保できたら
そろそろ春の庭いじりを始めようと思います
30分だったら
部分的な断捨離をしたり
図鑑を読んだり、眺めたり
メモを取りながら今後の計画を立てたり
20分だったら
B 5サイズのお絵描きか
カリンバの練習
時間の使い方が子育て時代のようになってきました
あの頃ほど集中力がないし体力もないので、休憩と睡眠の時間はしっかりとっています
余った時間を自分に当てようとしても
お金と同じで時間が余ることなどないので
少しでも自分を優先できるように
意識的に時間を確保することにしました
危険なのは SNS
ちょっとのつもりでも、あっという間に時間が経ちますね
気分を変えるにはありがたい存在なので、
どんなに時間がとられても 辞めるつもりはありません
反抗期の子供だったら怒られてますね
2月は気分のコントロールがなかなか面倒な一か月でした
83歳母は 胃を切り取る手術をすることに決めました
まあ、決めるまでが大変でしてね
「その手術やるの?」
と、つい言ってしまった私も悪かったんだとは思います
だいぶ母にあたられました
母が一番不満に思っていたのは
医師から
「あなたが決めてください」
と、何度も言われてしまうことでした
母曰く
「なぜ私に決めろというの?
先生が決めてくれなきゃ動かないんじゃないの?」
確かに医師が決めなければ動かないのかもしれませんが
手術を受ける受けないは本人が決めなければ始まらないのだということを
母に納得させるのにとても時間がかかりました
話をしている中で母が
「自分は学校の進学も就職も、結婚すらも
全て親に決められて生きてきた
結婚した後は全て夫が決めてきた
自分で何かを選んで生きてきたことなんてない
今更、何かを自分で決めろと
そんなことを言われても困る」
と、何度か 繰り返しました
「だから、
決めてくれない医師に対して不信感がある
なんか嫌な気がする」
というのがつながるわけですが
難しいのは「だから手術はしない」という話でもないことです
母としてはむしろ「手術をすることを決めて欲しい」と思っているようでした
「83歳の今から、積極的に何かをやりたいわけでもないのよね」
という話もしていました
母の中には
「自分はあまり器用な方じゃないし
頭も特別いい方ではないから
何をやっても一流の人間にはなれない」
というコンプレックスのようなものがあるようでした
一流の人間ということにだいぶこだわりがあるようでした
それに対しては
私からみて私の母という人が
ものすごい努力家で
努力で二流三流になれる人だと思うことを話をしました
どんな分野でも一流と言われる人は「努力と才能と時流を捉えた人」であって
その 特別な一流の人だけが世の中に必要なわけではないんじゃないか
そして流れを作っていくのは、後に続く 二流三流と呼ばれる人達なのではないかと思うと話しました
私の母という人はなりたいと思う努力で 二流三流 に十分なれる人だし、今までもなってきた人だと思うと話しました
そんな話をした後で
母は自分で手術をすることを決めました
母は明日入院して、明後日手術を受けることになっています
コロナ禍のこの状況では 家族が手術室の前に待機することはありません
電話で済ませることは済ませて、どうしても必要な時には病院に呼ばれたそうです
体調に心配のある88歳父を病院で待機させなくて済むのは助かります
私にとって今年の3月は
高齢の親のサポートが変わっていく起点になると思います
自分の時間を確保しつつ
様子を見て行こうと思っています