備忘録です
世間はコロナ禍、オミクロン株感染拡大の1月
私的には12月半ばから、近所に住む実母(80代)の病状とともに
自治会の次期役員選出に時間をさいた1ヶ月だった
12月に胃潰瘍と診断され、一度目の摘出処置で一週間の入院を経験した母は
お正月明けて二度目の摘出処置を日帰りで受けた
本人的には一度目のしんどさに比べて二度目は楽勝で、全快のつもりでいたけれど
病理検査の結果はガンの診断で、しかも胃全体にガンが散らばっているらしい
今後、胃の全摘出もあるという
2月初旬に外科の先生方と家族で面談するように言い渡された
80代母は
生野菜の塩揉みと、小麦粉焼きと、アイスクリームが常食で
好物は寿司と、パンと、ケーキ
肉類と火を通した魚、噛み応えのない野菜は嫌いで
ご飯や麺は無くてもいいが、食べるなら硬めが好み
錠剤を飲むのは苦手で、水と一緒に飲もうとしても水だけ飲んで薬は口に残る
山に買った別荘にひとりで出掛けて、誰にも邪魔されずに土いじりをするのが楽しみで
家で父と居るのがここ10年は最大のストレスだ
(父が脳卒中を患った頃からストレスが増大したと本人の談)
そんな母が胃を全摘出して、はたして幸せか?
長寿家系の出身で80代になっても、遠く離れた実家には108歳の母(私には祖母)がいる
自分も100歳くらい生きるのは当然と思っていた人なので、これが命に関わる事態だと理解できていないようなのにも困る
今のところは
「体の中に悪いところがあるのは、気持ちが悪いでしょう」
と、本人は強く主張しているけれど
胃を全部取った後のことは全く考えていないようだ
「お医者様が言うことは絶対だから、選択肢などない」
と、言いながら
「この先も今と同じように生きたい」
と、言うが
それは流石に難しいんじゃないだろうか
切り取った胃は、もとには戻らないんだよ
こんなはずじゃなかったと、ストレスをためる未来しか見えない
とにもかくにも外科の先生方の所見を伺ってから、本人に考えてもらおうと思う
色々私のせいにされるのにも慣れたけれど、本人が決めたと私が思えれば、私の気の持ちようが違う
このコロナ禍にも関わらず、早々に面談していただける病院には感謝にたえない
そのコロナ
いよいよ近くにコロナが来ている
近所の学校でも学級閉鎖が始まった
今年度、私は自治会の役員でも30年に一度回ってくるレベルのいわゆる本部役員だった
年が明けて、次年度の役員選出が始まっている
普段なら担当地区の人を集めて会議で決める次期役員を、コロナ禍で多くの人を集めるわけにもいかず「今年度の役員が次年度の役員を指名する」という負担の大きい選出方法をとることになった
私の担当地区はこの役の未経験世帯が10数世帯おられる
その10数世帯の方々に次期役員をお願いして歩いた
役員がどんな仕事をしているのか説明したいところだけれど、なんせこの2年はコロナコロナで行事ごとは全てが縮小されている
行事以外の仕事はしっかりこなしていたけれど、私の経験は次の方の参考にはならないので説明らしい説明ができくてまいった
皆様良識的な方々で
「誰もいないなら仕方がないですね」
とか
「来年度は他の役員を引き受けているので、その先なら」
とかおっしゃる
「何があっても絶対にやりません」
と言う言葉は(事前情報もあって)聞かずにすんだ
今日の時点で、何とかお引き受けいただけそうなところまできた
今年度の役員にも、次年度役員をお願いした方々にも、学級閉鎖で家にいる子どもがいるご家庭がある
リモート授業も増えはじめたようで、朝、登校する人数が少なめだ
濃厚接触者の家族の行動規範が2年間の中でも変わってきていて、戸惑いを感じることも増えた
ご近所との話題はいつもコロナからだ
できることはすでにやっているので、かかったときの準備を怠らないようにしようというのがもっぱらの話題だ
被写体としてお気に入りの木
濃霧の日があったのに写真を撮りに行けなかったのがちょっと残念
今年は四季折々、この木の写真が撮れるといいなぁ
1月は母のことと自治会のことに気持ちが持っていかれて、ブログもtweetも書く気持ちがおきない日があった
12月はたくさん歩いたのに散歩も控えめだったし、写真を撮った数が少ない
充実感もいまひとつで、気持ちの切り替えが下手だった
2月も1月以上に母と自治会に時間を割くことになりそうだ
出かけることは難しいが、家を片付けたり、本を読んだり、近所をたくさん歩いたり、気分を上げることはたくさんしたい
気分が上がればtweetもブログも気持ちが向いて、充実感も得られるだろう
こらからしたいことを、すでにあったことのように書くと叶うという話をよくみかける
手帳に実践してみようかな
個人的な文章を読んでくださった皆様に
心から感謝します
皆様が穏やかな気持ちで
健やかな日々を過ごせますように