今年、2023年2月に90歳で亡くなった父のサポート、介護、葬儀、相続等の話を数回にわけてまとめようと思います
実は、書き始めてみたら私にとってはかなりまとまりの悪い話しのようで、今、何度も書いたり消したりを繰り返しています
公開後も加筆・修正を繰り返すことになりそうです
少し時間がかかるかもしれませんが、備忘録をかねて記録出来たらと考えています
家族構成
父は母との2人暮らしです
子供は私ひとりです
親族とは電車で5時間程度の距離に住んでいて、それぞれ年に数回以上の交流はありません
父の健康状態
父は亡くなる15年ほど前に脳卒中を患い、手術・リハビリのため半年近くの入院経験があります
その時はリハビリの甲斐もあり、杖なしの歩行が可能になりました
社会的には「ゆっくり歩くようになったこと、重いものが持てなくなったこと」以外はほぼ元通りに見えるくらいの回復ぶりでした
それでも本人的には、体の片側に冷えと動きの悪さを感じる日々だったようです
病後から家で母にあたることが増え、それが母の鬱状態を引き起こしていました
初期の前立腺がんの診断も受けていました
こちらは亡くなるまで投薬のみで対応しました
高齢になってからアトピーや花粉症が出て、皮膚科の受診は欠かせませんでした
両親の住まい
過去のブログで確認したところ2019年1月に、現在の私の住まいから徒歩5分の場所に転居してきました
両親から私達夫婦へのヘルプのリクエストが1ヶ月に2度以上になってきたこと
安全に関わる問題が目に付くようになったこと
現在の私の住まいから、両親が当時住んでいた場所が車で90分程離れていて日々のサポートに通うには時間的に厳しいこと
これらのことから私から転居の提案して住まいを準備しました
転居に関して父は前向きでした
年齢差からも残される可能性の高い母が、
父自身の死に1人で向き合わなくて済むようになることが一番の理由だったようです
一方、母は自宅を終の住処として設えていたのでその時点での引っ越しは否定的でした
「自分たちでなんとかするから」
「パパさんがなんとかするから大丈夫」
と口癖のように母は言いましたが、父にとってはその言葉もプレッシャーのようでした
私の夫や私に、
「お前達にそろそろ何とかしてほしい」
と、母のいない所で言われたことがあります
転居してきたころ
2019年1月
引っ越しの荷物を父がひとりで運んでいた時、自家用車で単独事故を起こしました
事務的なことに関する記事がこちらに残っています
この時、本人に怪我もなく、人様を巻き込んだ事故ではなかったので、父は運転をやめるつもりはありませんでした
しかし、当然ながら母と私はこの機会に運転はやめにするのが良いと判断して、父には色々言い訳しながら車の購入をしませんでした
母はすぐに免許を返納しました
2020年に父の免許の書き換えがあったのですが、私が協力しないのは分かっていたようで誰にも何も言わずに自分でタクシーを呼んで免許の書き換えに出かけて行きました
実際には、事故後1度も父は運転をしませんでした
車が必要な時は、私が運転して送迎しました
病院への通院や趣味のものの買い物等、父の用事で車を出すのは月に2〜3回程度ありました
2019年の時点では、病院へ通院のある日に買い物や他の用事をまとめて頼まれる事が多くありました
父が私を占有する日数を少なくするように配慮していたようです
父自身も朝から夕方まで活動することができていました
それが翌年にはしっかりと時間をとった昼寝を挟まないと動く事が難しくなり、一回の活動時間は4時間程度になってきました
夏場の暑い時季には外に出ることを嫌がるようにもなりました
そのため引っ越しの際に温室まで用意した趣味の鉢物園芸は、春の植え替えを終えないうちに放棄された状態になりました
数回、母に水やりを頼んだことがあったようですが、量が多い上にそれぞれの状態を見きれないので「自分で世話ができる範囲でして欲しい」断ったようでした
涼しくなって何度かは温室に入ったようですが、世話をした様子は見られませんでした
そして冬、父は家の中では変わりなく過ごしていたものの、積極的に外に出ることはなくなりました
2021年春
父の活動時間が減って運動不足になっていること、昼夜の逆転が出始めたことが気になって、私は両親とデイサービスの利用を相談しました
この時、既にコロナ禍となっていて皆が外出をできるだけ控えていました
コロナの感染者が出た施設が閉鎖になった話も、しばしば報道されていました
その状況にあって両親も私も外と繋がることに躊躇しました
「コロナが落ち着いたら考えよう」
と、利用を見送りました
父はこの相談を気にしたのか、20〜30分程度の散歩を心がけるようになりました
お気に入りのコロッケを買いに近所のコンビニまで出かけたり、私の家の庭を見に来たりしていたようです
病院に行った帰りに、ホームセンターの園芸コーナーで季節の花を見ては母へのお土産をいくつか購入していました
夏と冬、室温のことで毎日 父と母は言い争いをしていました
柔らかいものしか食べなくなり、偏食を母に指摘されることでも言い争いになっていました
そうとうストレスが溜まっていたようで、父が私に向かって
「ママを黙らせろ!
離婚してもいいのか!」
と、言いました
「どうぞ」
と落ち着いて返事をしたら
「そ、そうか………でも、モニョモニョ…」
と、自分で言い出したクセに言葉をにごしておりました
2022年春
どうにも父と母の間にトラブルが多く、生活リズムのズレと、体感温度の違いが折り合わなくなってきて父が根をあげました
母が抵抗する中、父の希望で母の留守中に寝室を分けました
もちろん母の大きな雷が部屋の模様替えを手伝った私の夫にまで落ちましたが、父にとっては少しの平安の時間を確保できたように思います
睡眠時間が少しずつ長くなっていました
夏以降の話は次に続きます