空元気も元気!

ちょっとだけ頑張った日の記録です

『選択』と『年齢』 私にとっての『希望』

私は「結構長寿」の家系にいると思っている。

54歳になった今も、

祖母が98歳で健在だし、

その姉(つまり私からすると大叔母)は現在109歳だ。

親族の多くが90代まで生きるので

80代で亡くなる方に対して「まだお若いのに・・・」と

つい口から出そうになってしまう。

 

 

私は子供のころから

「将来の夢は?」

と聞かれることに違和感を覚えていた。

「どうやって経済的に自立するのか?」

  (子供の言葉でいえば「どうやってお金を稼いでいくのか?」)

という質問に、「夢」なんてあるのだろうか?

勤め人の親を見て、人並みに務めることが良しと、それしか示されないのに

「将来の夢」を聞かれても・・・なあ、と思いながら

親が喜びそうな答えを口にしていたように思う。

 

10代のころには、なりたい自分になるには

努力だけではどうしようもないことがあると気づき始めていた。

それどころか、才能さえも運がなければ使いようがないことも。

「夢も希望も、あったもんじゃない。」

 

 

そんな時、曾祖母が93歳で亡くなった。

 

その日、曾祖母は

午前中、日課となっている畑の草むしりを普段道理にこなし

機嫌よくお昼ご飯を頂いた。

食後のお茶を飲みながら、最後の沢庵を口に入れた時、

「コン、コン」と

せき込んだそうだ。

「ほら、慌てて食べるから~」

と、家族が曾祖母の背中に手を当てると

もう、あちらの世界に旅立った後だった。

 

あまりことに、

葬儀のときにもみんな唖然としていた。

口の中に半分の沢庵が残っていたと聞いて

「おばあちゃん、あと一口、食べそこなっちゃたね。」

と言い合うのが精いっぱいだった。

 

でも、これは生き様として悪くないと

15歳の私は思った。

こんなしまい方があるのなら、

長く生きることも悪くない。

私は一つ目の将来への「希望」を持った。

 

29歳、32歳、36歳で出産。

何度も流産して、寝たきり状態の妊娠・出産だった。

それでも生まれてきた3人は

生命力にあふれている。

「この子たちは間違いなく、生きることを選んで生まれてきたんだな。」

と、思えた。

ならば私も、自分で決めて「生まれて」来たんだろう。

「生きていくこと」を、選んでここにいるんだと

きちんと自覚しなければなと思った。

 

 

 

祖父が96歳で亡くなった。

 

祖父は私が知る限り鉢物園芸を職業としていた人で、

趣味で油絵を描いていた。

70歳の時、仕事と趣味を逆転させると宣言して「絵描き」になった。

 

はじめの10年は、日々の水やりから解放されて

祖父は家を空けまくった。

山を描きに1週間、夕日を描きに10日と

家族に何も言わずに出かけていく。

はじめは行方不明に慌てた家族も、半月程度では驚かなくなった。

それでも、1か月姿を見せなかったときは

「ヨーロッパに行ってきた。」

と、上機嫌の祖父を見て

ため息をそっとつくこともあった。

絵のサイズはどんどん大きくなり、

色気を増した。

行動に伴って作風は「超オレサマ」

 

それが80歳を過ぎたころ、

「小学校のクラブ活動に、ボランティアで絵を教えている。」

と言い出したころから、絵が変わりだした。

山間にウサギが登場し、

おにぎりを食べる家族が現れた。

90歳に差し掛かるころには、

色使いまで童話の挿絵のような絵に変わっていったのだ。

 

あの年になっても、変わっていける。

それは私の2つ目の将来への「希望」だ。

つまらない「選択」なんて、しなくていい。

成熟なんて、どこ吹く風。

90代も楽しめそうじゃないの。

 

 

私が50歳になった時、久しぶりに親族の集まりにいった。

「私、人生半分きたかなあ?」

というと、

「まだまだ、おばあちゃんのお姉さん106だから」

大叔母の半分に追いつくまでの4年間、

私はあと半分の人生を思い、

今後の自立について真剣に勉強することを「選択」した。

年を重ねるということは、どういうことなのか

不安に思いはじめたころ

 

 

98歳になった祖母が、足を骨折した。

聞きつけたのがふた月もたってからだったので、

命に別状ないことは分かっていたけれど

歩けなくなるんだろうなあと半ばあきらめながら見舞いに行くと

なんと退院したという。

家に行くと、「ちょっとお手洗いに」と

手すりに頼りながら祖母は歩いている。

一緒に暮らす家族が、

病院から転倒防止に歩行器を使うように言わたけれど

本人が面倒がってこまると言っていた。

「90代の人にリハビリさせるのかって言われたけど。

 本人が『しもの世話なんかさせられるか』って、

 聞かなかったのよ。」

と、回りの方が押され気味。

試しに歩行器で歩く練習を見せてもらったら、

走るように歩行器を転がすので、かえって危なく見えた。

大正生まれで、

女学校でバスケットボールの選手だったのが自慢の祖母。

地域で誰よりも早く耕運機に乗った、自他ともに認めるお転婆な祖母の

新しい「武勇伝」ができた。

 

その気になれば、寝たきりになる「選択」なんて

しなくていいんだな。

私の新しい将来への「希望」だ。

 

 

中学生の3年間

高校生の3年間

どれほどの密度で、どれほどのことができたか

私たちは体験済みだ。

3年をワンセットで考えるなら、

いつだって、どんな年齢だって

望む「選択」が始められる。

そして望むように変わっていける。

 

誰かの評価ではなく、自分の「選択」でかまわない。

生きる「選択」をした以上、死は必ず訪れるけれど

悪くないしまい方を目指していくことは必ずできる。

 

それが、今の私にとっての「希望」です。

 

多くの皆様がそれぞれの「希望」の「選択」を

自分自身のためにできて、

幸せな気持ちで日々を過ごせますように。

 

 

 

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