|≡ヽ( `・ω・)ノ {娘だよ!]
先ほど、母の書いたブログを読み返していたら、ふと思い出してしまったことがあります。
私が夏休み前に必死こいて書いたレポートの中に
『仏教伝達前の日本の死生観について論ぜよ』
というものがありました。
平たくいえば、
「授業でやった古事記、日本書紀のイザナギとイザナミが黄泉の国に行くシーンをレポートにして提出してね」
みたいな事です。
そこで私は、学校の図書館で日本書紀を探し出し、「明らかに凶器だろこの本」と思うほど分厚いハードカバーの本を重要な所だけ読んでいました。(ちなみに古事記は、一緒にやっていた友達が目の前で読んでいたので少し拝借させて頂きました)
その本は漢文とその口語訳、その解説がひたすら書いてある本でした。(誰の書いた本だったかは忘れました。すみません)
その中に、イザナミが
「私はもう黄泉竈食(黄泉の国の食べ物を食べてしまった、ということ。そうすると、黄泉から帰ってこれなくなる)をしてしまいました。
でも、イザナギがせっかく来てくれたのだから黄泉の国の神に、黄泉から帰れないか交渉してみます。
私の姿を見ないようにして待っていてください」
的なことを言います。
さてここからが問題になるシーン。
なんとイザナギは、イザナミの言いつけを守らずに櫛の先に火を灯してイザナミの姿を見てしまいます。
すると、イザナミは見るもおぞましい姿になっていました。
このシーン、問題はイザナミが見るもおぞましい姿になっている事ではありません。
イザナギの行動が問題なのです。
古事記、日本書紀のどちらもイザナギがイザナミの言いつけを守らないのは一緒です。
ただ、古事記の方はイザナミの言いつけを聞き入れ、しばらく待っている描写があります。
あまりにもイザナミが遅いので心配になって火を灯した。みたいな書き方がされています。
しかし、日本書紀ではしばらく待つなどの描写が一切なく、イザナミが交渉に行ったすぐに火を灯してしまいます。
そもそも言いつけを聞いていなかったのか、それともあまりにもイザナミが恋しかったのかはわかりませんが、迷いもなく火を灯してしまいます。
私はどちらかと言うと考え方が女の子で、最初に日本書紀の方を読んでいたので、
「なんだこの男、待つことも出来ないのか!惚れた女の言ってたことだろ、少しは待てよ!」
と思って、びっくりしながら古事記を読んだら、しばらく待ち〜、みたいな描写がされていてほっとしたのを覚えています。
今考えると、日本書紀は物事の結果を簡単に書いてあるのかな、と思うことがあったので、そういうことにしておきます…。