いろいろ読んできたのですが、
誰が、なんのために書いたかを記す序文は
単純に大事なんだなあと感じています。
古事記には序文があって、
日本書紀に序文はない。
その事実のみでも、読み解く方法が変わってくることを
実感しているのです。
古事記には序文があります。
古事記はまあ、いいんです。
序文に稗田阿礼が集めた話を
太安万侶が書き記したことが書かれているので
じゃあ、稗田阿礼ってだれ?
とか、
太安万侶って何者?
って、
書き手の背景を探ったり、
立ち位置を読もうとしたり、
手がかりになるんです。
これが
日本書紀となると
書かれた当時は、そんなことは常識だったんでしょう。
朝廷が国家事業として記録を残すために作るんですからね。
「すぐ前の天皇さん」のことを書くわけだから、
書きにくいことは、常識的に周知していたんだろうし、
そのときには、多分書かない方がいいことも多かったんでしょう。
「今の天皇さん」が、どうしてその地位にいるのか、
そのあたりの事情につなげるのが、
きれいに書くのが日本書紀の「使命」ですもんね。
書き手がどうしてその人なのか、
その人がどうしてそう書くのか、
その時代の人、特にそれを目にする人には
言うまでもないことが沢山あったんだと思います。
でも、それって、時間がたつとわかんなくなっちゃうんですよ。
対立した人はもういないことも多いし、
まずいことを書き残そうって人は、そうはいない。
いたとしても、書き残したものを、
危ない思いしてまで取っておこうっていうあとの人は、
もっと少ないでしょうし・・・
せめて、それぞれの巻の書き手が書かれていればなあ。
古事記はいいんですと、書きましたけど、
実をいうと、全然よくなくて、
ホントのところ、どこを目指したかったの?と
思うところも多いのです。
古い時代を書いた日本書紀もそうです。
日本書紀は漢文で書かれているんですけど、
「漢文を日常的に使っていた漢の人が、
いまいちよくわからない日本語を
無理やり漢文に書取った」
のか、
「いまいち漢文が上手に扱えない日本人が、
その気になって書いてしまった」
のかで、
結構、話が変わってくるようなところも、
あったり、なかったり・・・
私は中国語の専門家ではないし、
ましてや古い漢語なんて自分じゃかけない
共通一次世代の古典レベルです。
それでも経験的にですが、
「字の意味を常に考える日本人」に対して
「中国人が音を重視する」ことは、
すごく感じるところがあります。
それに中国語を操る人たちの方が語音が多いにも関わらず
少ない音の日本語の中にも
彼らにとって聞き取りにくい音があることを知っています。
漢人が書いた文章の微妙さ、
日本人が書いた漢文の微妙さ、
間違いなくあるでしょうねえ。
もしかしたら、
今残っているものは
できる人の添削済みかもしれないし・・・
微妙な添削って、余計に読みにくいんですよねえ。
古事記研究に、現代までも影響を残している江戸時代の学者、
本居宣長の存在には、
はじめは本当に驚きました。
でも、古事記の成立から考えれば、
ホンの最近のこと、
なんですよね。
考えてみれば
本居宣長という江戸時代の高名な学者が
古事記に活路を見出したことは、
その時代の事情もあったんだろうと思います。
紆余曲折あったとはいえ、
日本の天皇家は脈々と続いている一族ですし、
平成の世に生きる私たちよりもずっと、
日本書紀になにがしかを言うことは
難しいことだったとも思うのです。
本居宣長だって、
古事記がただの民間伝承だと
信じたわけではないでしょう。
でもそう決めつけてしまった方が、
言いやすいことが多かったのだろうと思うわけです。
本居宣長自身がどう思っていたかはともかく、
彼がかなり力のある学者だったことが
その後の日本の古文書研究に
ある道筋をつけてしまったことは否めません。
2次的、3次的な興味なので、
そう深く探りたいものではないのですが、
研究者を取り巻く事情が無視できないことは
このひと月余りでずいぶん実感したことでした。
直接、序文や書き手の話、
研究事情と関係するわけではありませんが
このひと月で読んだ中で、
色々面白かった本を挙げておきます。
ほとんどが近所の図書館にあった本や、
リクエストで探していただいた本です。